えー今更だけど、
とにかく街中の誤解が多く、
ちゃんと書き記す。
さかのぼること5.6年程たつかな、当時37歳ぐらい。
ある親しい同業の飲食の3つ上の方(S氏)
と久しぶりに、飲む機会があった。
そこで、もう一軒という流れで、知り合いのカラオケバーに行ったわけです。
なんだかんだ飲んでる最中に、仕事の話しになり、
お前ら49会(49年生まれの街中の飲食仲間)は、しょうもない集まりで、、と、なんだかんだいつもの言われようの話になったわけです。
その先輩いわく、ただ集まって飲むだけで、本当に互いの人生のことを支えあうわけでもなく、飲んでるだけで何が楽しいんだ、、みたいな事になるわけです。
さらにことの発端は、
数年前に先輩のお店が閉店する際に、いつもその店を出入りしていた49会で、
そこで働く49会スタッフと、おつかれさま会をしたわけです。
しかし、その会を見て、
先輩は、お前ら閉店する店でよく楽しく飲めるな、、
となったわけです。
私は日本からその時離れていて、
その場にはいなかったのですが、確かに間違ってない事ではある。
しかし、お世話になった先輩のお店で最後に会を開く事に、悪気はないのも事実だったはず。
ここからですが、
その事を、私にお前らの集まりなんか、、、どうのこうのとなり、しまいに、私の会社の店のことまで、どうのこうのになり、
詳しくは、俺は一から屋台村とか、小さな店からやってきたけど、
鎌田くんは、いきなり大阪から来て、店やってみたいな事を、ダラダラいい始めたので、酔っ払いやん、、笑
これ以上うちの従業員含め、会社のことに、ケチつけるんでしたら、
ぶん殴ります。 笑 と言うと、
殴ったらええわ、お前の店は、どうのこうの、、、、
内心もう無理やわ〜となり、
ぶん殴ったわけですな。
もちろん、何があっても、殴るのはあかん事も心得ています。
後日、殴った事は謝りました。
ですが、あれは、今でも忘れられない、正直、悔しい出来事だったな。
そもそも、俺がなんかしたのかと。
自分は、苦労したのにお前は、いきなり店出してと思てるんなら、先輩違いますよ。
あなたは、松山の都市で頑張ってこられたのでしょうが、その間、わたしは、
大阪、東京、京都で料理修行から、経営ノウハウ、コンサル会社、海外での仕事までを、キャリアアップでのしあがって掴んできました。
大都市で1人で社会人でサポートなしにのしあがるためには、人の3倍のスピードで仕事ができるようになれと、上司によく言われました。
現に周りの地方都市出身のやつらは、ほとんど消費者金融で借金まみれで、田舎に引っ込んでいきましたよ。
その時は、実家から通ってる奴らとか羨ましかったですよ。
車通勤で、家事炊事、親がやってくれて、仕事だけやればいいわけだし、終わったら毎日そいつらは、飲み倒してましたよ。
その点、私は、毎日2時間電車に揺られて往復して、帰ったら洗濯。
ご飯は、ご飯ですよにマヨネーズ。
たまに、社長が飯連れて行ってくれた食堂の生レバー丼美味しかったな〜
とまー自分の苦労ばなしは、さておき、そんな状況で、
朝家でて、吐く事もあるぐらい過労でも働き倒しましたよ。
そんなこんなで最終キャリアが、350人中5人の採用枠に入って、
当時いけいけのベンチャーリンク出身とい経歴をひっさげて、松山で保証協会と銀行から3000万借りいれができて出店したんですよ。
こういっては、なんですが先輩が苦労したのも認めます。でも松山の街で毎日、酒も飲めて楽しい当時の時間の思い出話を人ずてに聞くと
それだけでも私からすれば羨ましいですよ。
そんな時間すらないぐらい、とにかく仕事とそれ以外の時間で、準備の勉強やってましたから。じゃないと、のしあがれないし給与も安いままでは、生活できないから。
かといって思わぬ出費もあるし、
最初の頃は、やっていけないんで畑で野菜盗んで、、笑 やりくりしてましたよ。
それで、あのバーでの言われようはあの時は、若かったせいもあるし許せなかったんですね、、
というのが、あの時の心境だったのでここであらためて書き記しておきたい。
とはいえ、Sさん、あの時は、ごめんなさい、、またゆっくり飲めたら飲みましょうね。
長くなりましたが誤解やら、
世の中は、いろいろあるが
頑張るしかないか、、